2014

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Canon PowerShot Pro 90 IS。このカメラが私の2台目のデジカメであり、デジカメ人生の根幹となる機種です。まぁ、競馬で喩えたらエクリプスみたいな感じですかね。。と云っても似ているのは根幹をなすという点のみであって、Eclipse first, the rest nowhere.的なことわざとは若干異なって、いくらでも並ぶものは居ますけどって機種です。さすがにボディの文字はかすれ、グリップのラバーはベタつきが出て全部取ってしまいました。

私のカメラの原体験は、MINOLTAのエレクトロショット(1965年発売)でした(父親のカメラ)。何度か使いましたが、レンジファインダーが見えにくかったのを覚えております。
人生初の自分のカメラは1970年代に、ブローニーフィルムを使ったダイアナの派生モデルDiana Deluxeを買いました(八千代台ユアエルムで1Kくらいで売ってた)。当時「Diana」が読めなくてずっと気になっていたのを思い出します。フラッシュがついていて、それもフラッシュランプ?(どうしても名前が思い出せません)的なものをセットして、一回ボンッ!と焚くと終わりというものでした。焚いた後は電球がジュージュー音を立てて焼けただれた様になっていたのを覚えております。
お小遣いは、フィルムと現像、そしてこのフラッシュランプ代で使い果たしておりました。子供が毎月現像に来るのが珍しかったのか写真館のお姉さんと顔見知りになり、私の写真を見ながら批評めいたことをしてくれた事も今は霞がかってかすかな記憶です。
その頃は千葉の田舎に住んでましたけど、近所にカメラ屋さんが3件もあり、ショーウインドウに並んだカメラを見るのが好きでした。私は小学生でしたが、当時、隠れたカメラブームがあり、少年ジャンプに連載された「ピンボケ写太」(1978年)という作品がその火付け役でした。この漫画は大人になってから苦労して全3巻揃えました。
また、その頃、子供向けのミニ本に「こどもポケット百科 みんなのカメラ教室 実業之日本社」(1977年)というのが出版されていて、それを見るのが日課のような日々。今でも図鑑やカタログ的なものが大好きなのですが、原点は子供の頃のこんな過ごし方にあったのかも知れませぬ。
その本の1/3程度がカメラカタログになってまして、当時人気のカメラたちが載っておりました。OLYMPUSのOM-1、CANON AE-1などが憧れの存在で(不思議とニコンには興味がなかった)、いつかは欲しいと思いつつも、その天文学的数字のついた値段に自分とは無縁の世界だと感じておりました。子供でしたしね。
ミノルタエレクトロショットはその後故障、ダイアナは光漏れで使えず(と思っていましたが、今なら味?)、中学、高校とカメラとは無縁の生活でした(別の趣味に没頭しておりました。これはまた別の機会に)。
その後、レンズ付きフィルムが全盛を迎える80年代後半、すでに社会人でしたが、再び忘れかけていたカメラへの憬れが蘇ります。そして、京セラSAMURAIへと辿り着くのでした。

そんな昔からのカメラ好きがカメラ音痴のままMZ-10で悪戦苦闘していた2001年に転機が訪れます。
それがその年の夏に行われたラジオ日経主催の北海道牧場めぐりツアーでした。競馬雑誌(週刊ギャロップ)の広告で知りました。
今考えると出不精のふたりがよくこんな企画に乗っかったなぁと思うんですが、何しろ競馬が、そして馬が大好きでしょうがない時期だったので、いてもたってもいられず申し込んだんでしょう。
結果として、ステキなツアーでしたし、同行していた参加者の皆さんも気分の良い方ばかりで大満足でした。
道内ではバス移動だったのですが、添乗していたバスガイドさんが「これほどお客さんにかまってもらえないツアーは初めてでした。皆さん馬にまっしぐらで・・・」なんて仰ってましたからまさに馬好きだらけの大運動会。。
で、出掛ける前に、どのくらいのフィルムが必要なのか、つまり何頭の馬に会えるのか、ツアーの詳細を見ても全く分からなかったので、ここは撮影枚数に制限のない、フィルム交換をしなくて良いデジカメを投入するのが良かろうとなりました。

そこで、購入したのが、今回のPro90IS(2001年2月発売)でした。258万画素。ついに憧れのCanonを手にした瞬間でもありました。
奇しくもライバルとして購入を検討したのが、OLYMPUSのC-2100 Ultra Zoom、CAMEDIA C-700 Ultra Zoomでした。量販店でチェックして、結果Canonを選択し、夏の旅行へGOしたのを覚えております。
旅行中は記録メディアもかさばらないので便利でした。一日の行程を終え投宿後は、BUFFALOのストレージにデータをコピーすれば、また次の日はフルにメモリを使えるという未来感が当時は快感でした。今となっては泣かせる256MBのCFを使っておりました。
このPro90ISの最大の魅力はImageStabilizerと高倍率ズームです。望遠側(135換算370mm)ではC-700 Ultra Zoom(同380mm)に若干劣りはしましたが、テレコンをかませれば問題なしと踏んで(RAYNOX 1.8X 周辺は流れまくり)、希望通りはるか遠くのお馬さんも捉えてくれました。
うまfoto にupしたサンデーやテイオーなど一連の種牡馬たちは本機での撮影です。

さて、旅行では大活躍だった本機ですが、いざ競馬場で使うとなると、とたんに戦力を失いました。このへんが素人の機種選びなんですな。
あれほど欲していたコンティニュアスAFはこの機種にはついておりません。なんでそんなんで買っちゃうかなぁ。。と。
ただ、EVFが常時対象にピントを合わせ続けるということで、動きモノにも多少は効果があるかと思っておりましたが、これが当たり前ですが全く意味が無いんですな。確かにピントは合わせ続けてくれるコンティニュアス的EVFなのですが、いざ撮ろうとシャッター半押しにすると、その段階から改めてピント合わせを始めるというどんでん返しがw。
しかもそのピント合わせがオッソイ。更に連写が0.7/秒という、普通に一枚ずつ写したほうがマシな感じで、進退窮まります。。
とは言うものの考えてみれば現在でもコンデジでコンティニュアスAFで連写できる機種となると極々限られたモデルではないかと思います。デジ一との住み分けとか関係あるんですかねぇ。。

また、バッテリーの減りも早かった。1Rから撮影を始めると4Rあたりで終わってしまいます。予備は必須。
そんな状態ではありましたが、これを使い続けなければなりません。そのモチベーションは本機が高額だったということw。確か100kでこぼこだったと思います。
何しろ、格安と謳われた1999年9月発売のNikon D1が希望小売価格 650k、2001年5月発売のD1Xが希望小売価格 590kだったわけですし、2000年9月発売のCanon EOS D30が358kなのですから、デジ一は論外です。
そんな世相の中w、100kで高倍率ズームレンズのついたボディを手に入れられるのですから、当時としても一定の評価があったとともに、ネオ一眼が果たした役割も大きかったと思います。

このころはジャンク遊びはもちろん、カメラを売るなんて思いもしませんでしたから、結局その後2年間はこれ一本で頑張りました。だんだん癖がわかってくるにつれて、まぁまぁ写っているじゃないかというものが出来てきました。
TCKのトゥインクルにも連れて行きました。パドックの一番明るいところを探すことから始めて、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるでいきたいのですが、実際はAFが激遅なので、そこそこしか打てない。
でも、遅いAFが嫌いではありませんでした。不思議なんですが、シャッターチャンスというか、その機会が失われても我慢できるのでした。なんか機械が頑張ってる感が伝わってくるようで放擲する気になりません。
むしろ一番の不満はその画質でした。これは発売当時一般的にも不評だったのではないかと考えております。当時はリバーサルフィルム全盛で彩度の高い綺麗な写真が優駿の誌面を飾っておりましたが、本機の画はそれと似ても似つかないものだったのです。
とにかく色が薄いんです。乾いたデジタル画像なんですね。不思議なんですよね、同世代のライバル機はそこまでひどくなかったと思うんです。とにかく緑が黄色い。。これは今も好きになれません。

それでも、本機には感謝しているんですよ。本機の得意分野じゃないフィールドに連れて来ちゃって(競馬場で使っている人を見たこと無い)、本人が夢見ていた活躍の場は与えられずスマンという感じなんですが、この不自由のお陰で、たいていの古デジカメが普通に感じる(爆)。

貴方も自分のデジカメ原点があるんじゃないですか。

Canonに関してはデジ一のフラッグシップ機まで辿り着いたんですが、フラッグシップ機を使ってはじめて、本機が使えるようになったような気もしてます。
素人だから安いカメラとか、高い機種は使いこなせないとかはフィルム時代の話のような気がします。
プロ機のほうが失敗しないし、簡単に写せます。機能が限定されたエントリー機のほうが大変なんですよね。
とにかく本機は色んな事を教えてくれた私の銘機なんです。変な形ですけどね。。

2014

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つづく。。

 

 

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