このCAMERAはジャンクではなくて新品を発売と同時に購入している。それが2009年の事だから、ほんの6年前の事だ。買った当初はトイデジ専門のブログを立ち上げたほどのめり込んでいたが、ほとんどのコンパクトデジカメにトイデジモードが搭載されるようになりトイデジというジャンルは縮小し、特別なCAMERAで写しているという感覚は無くなってしまった。ほんの6年と書いたがDIGITALの世界の6年は長いと言う事だ。どんなものであれDIGITALの世界できらめくのは一瞬なのかもしれない。
我が家の8027はボロボロだ。。メーカー名の銘板は気に入らなかったので外してしまった。競馬場のPaddockで使うことを考えると、OFF設定が出来ない補助光ランプや操作音のスピーカーも邪魔なので外したから、都合2回ほど分解している。新品で購入したがジャンクになってしまったわけだ。もっとも、現代のCAMERAはどういう状態で保存していようが、古くなればジャンクとなる運命なので気にはならない。
本機を購入した一番の理由はデザインだ。だから日本語非対応で階層の深いメニューや本体で専用電池を充電する方式も我慢できる。日本語非対応や先に述べたOFF設定などは新しいファームを備えた機種がリリースされ解決している。最初に投資した人間に優しくないのはDIGITALの常なので覚悟はできていた。。諦めなのかもしれないが・・・。その後、さらに800万画素CMOSから1200万画素にUPしたVivitar ViviCam Classicが登場して、その系譜を3代まで伸ばしている。
8027は期待通りの写りをしてくれた。食べ物を写すにはあまり向いていないけれど、通りすがりの風景を美しく残してくれる。
最近のCAMERAのクロスプロセスフィルターの効果に近い画作りだと思う。
私は普段CAMERAたちを防湿箱に保管しているが、このCAMERAだけは長いこと本棚に飾っていた。器量よしで手に入れたのだからそうすることが相応しいと考えたのだ。そして、それを眺めてはこのCAMERAだけを持って何処かへ出掛けてみたいといつも思っていた。
しかし、その夢想はいまだに実現していない。この覚めた発色の美しいCAMERAは、私の中でいつでも2番手の存在なのだ。メインとして使うには何かが不足しているように感じているのだと思う。このCAMERAだけを斜め掛けにして歩いたらさぞかし満足だろうと思うのだが、きっと普通のCAMERAで写したくなると予感している自分がいるのだ。トイデジとはそんな存在なのかもしれない。
だから、今でもトイデジ一筋でBlogを運営しておられる方を見かけると、その潔さに羨ましさを覚える。誰でもCAMERA1台、LENS一本に憬れているのかもしれない。
私は物欲の塊だから、そんなストイックさは欠片も持ち合わせていない。ただ、羨ましいと思うばかりだ。それでも、もし、CAMERA1台、LENS1本しか持てないとなったら、私は迷うこと無くそのひとつを選択する覚悟はあるし、それ以外の全てを捨てることが出来るだろう。そうなりたいと考えなくはないが、防湿箱で休んでいるCameraたちを見るとそうでなくて良かったとも思う。CAMERA遊びは1台を選択するゲームではなくて、どんな写真を撮るのか、何を撮りたいのかを決める迷路ではないのかと思う。そして、そこには、どんなCAMERAで写すのかという選択肢が入っていることを願っている。トイデジがきらめいた時代に本機を購入して良かったと思う。このCAMERAで写すという選択が出来るのだから。(※敬体に飽きたので、今回から常体にしてみた)
つづく。