このCAMERAはジャンクではなくて新品を発売と同時に購入している。それが2009年の事だから、ほんの6年前の事だ。買った当初はトイデジ専門のブログを立ち上げたほどのめり込んでいたが、ほとんどのコンパクトデジカメにトイデジモードが搭載されるようになりトイデジというジャンルは縮小し、特別なCAMERAで写しているという感覚は無くなってしまった。ほんの6年と書いたがDIGITALの世界の6年は長いと言う事だ。どんなものであれDIGITALの世界できらめくのは一瞬なのかもしれない。

2014

2014

我が家の8027はボロボロだ。。メーカー名の銘板は気に入らなかったので外してしまった。競馬場のPaddockで使うことを考えると、OFF設定が出来ない補助光ランプや操作音のスピーカーも邪魔なので外したから、都合2回ほど分解している。新品で購入したがジャンクになってしまったわけだ。もっとも、現代のCAMERAはどういう状態で保存していようが、古くなればジャンクとなる運命なので気にはならない。
本機を購入した一番の理由はデザインだ。だから日本語非対応で階層の深いメニューや本体で専用電池を充電する方式も我慢できる。日本語非対応や先に述べたOFF設定などは新しいファームを備えた機種がリリースされ解決している。最初に投資した人間に優しくないのはDIGITALの常なので覚悟はできていた。。諦めなのかもしれないが・・・。その後、さらに800万画素CMOSから1200万画素にUPしたVivitar ViviCam Classicが登場して、その系譜を3代まで伸ばしている。

2014

2014

8027は期待通りの写りをしてくれた。食べ物を写すにはあまり向いていないけれど、通りすがりの風景を美しく残してくれる。

2009

2009 中山競馬場

最近のCAMERAのクロスプロセスフィルターの効果に近い画作りだと思う。

2009

2009 TCK

私は普段CAMERAたちを防湿箱に保管しているが、このCAMERAだけは長いこと本棚に飾っていた。器量よしで手に入れたのだからそうすることが相応しいと考えたのだ。そして、それを眺めてはこのCAMERAだけを持って何処かへ出掛けてみたいといつも思っていた。

2009

2009 TCK

しかし、その夢想はいまだに実現していない。この覚めた発色の美しいCAMERAは、私の中でいつでも2番手の存在なのだ。メインとして使うには何かが不足しているように感じているのだと思う。このCAMERAだけを斜め掛けにして歩いたらさぞかし満足だろうと思うのだが、きっと普通のCAMERAで写したくなると予感している自分がいるのだ。トイデジとはそんな存在なのかもしれない。

2009

2009 TCK

だから、今でもトイデジ一筋でBlogを運営しておられる方を見かけると、その潔さに羨ましさを覚える。誰でもCAMERA1台、LENS一本に憬れているのかもしれない。

2009

2009 TCK

私は物欲の塊だから、そんなストイックさは欠片も持ち合わせていない。ただ、羨ましいと思うばかりだ。それでも、もし、CAMERA1台、LENS1本しか持てないとなったら、私は迷うこと無くそのひとつを選択する覚悟はあるし、それ以外の全てを捨てることが出来るだろう。そうなりたいと考えなくはないが、防湿箱で休んでいるCameraたちを見るとそうでなくて良かったとも思う。CAMERA遊びは1台を選択するゲームではなくて、どんな写真を撮るのか、何を撮りたいのかを決める迷路ではないのかと思う。そして、そこには、どんなCAMERAで写すのかという選択肢が入っていることを願っている。トイデジがきらめいた時代に本機を購入して良かったと思う。このCAMERAで写すという選択が出来るのだから。(※敬体に飽きたので、今回から常体にしてみた)

つづく。

 

2014

2014

若い頃に比べて歳を重ねると時間が早く感じるとはよく言われる事である。その理由も経験が蓄積された結果、物事への処理が効率化されるからと言うのが一般だと思う。それは何でも経験済みだというよりは、日常の生活がある程度決まった範囲で繰り返されることによる効率化ということだろう。そんな繰り返される日課の中に新たな経験を挟み込む事で少しは時間の経過をしっかりと感じる事が出来る。それが趣味であることも多い。競馬などは1日中時間に管理されているので、かなり時間を意識する。結果として長く遊べたと感じることが多いと思うがいかがだろう。ただ、競馬を趣味としている方が口を揃えていう言葉に「競馬をやっていると一年が早い」という事がある。実は私もそう思う。一日は長いが一年は早いのだ。それでも、どこかに充実感がある。そう考えると早く感じるのは結果論だ。十分楽しんでいるのだから、振り返ると淋しいのだ。寺山修司さんは「人生が競馬の比喩なのだ」と仰ったが、時には淡々と熟し、時にはドラマチックに・・・なるかもしれない自分の時間を大切にしたいものだ。
古デジカメ蒐集趣味は淡々と繰り返される生活へ常に初体験をもたらす。使ったことのないCAMERAを拾ってくるわけだから当然といえば当然だ。そして、似て非なる操作方法を調べ、撮影結果を楽しむと同時に、そのCAMERAをどう楽しむのか考える。悪くない趣味だと思う。今回のCAMERA、Nikon COOLPIX S500は、私にとって初めてのNikonという事になる。もし、この趣味を始めていなければ、決まりきった繰り返しの中でNikonのオーナーになろうとは思わなかっただろう。それが、この蒐集で初体験の機会を得たのだ。
本機はガラスケースに収められていたので、ジャンクとしてはワンランク上の存在だった。スレもさほど目立たないアンバーブラックのボディはヘアライン加工が施されて美しい。Nikonという美しい響きにマッチしている。2007年の発売だから本来ならば中古品として売られていても可怪しくないのだが、背面液晶に浮きがあるのだ。おかげで0.7Kと安く拾い上げることが出来た。液晶は全体的に白く濁って、貼り損ねて気泡の入った保護シートのようだ。これは一見視認性に問題がありそうなのだが、電源が入ると意外と普通に見られる。ただ、あまり気分の良いものでないことは確かだ。なので、機会があれば綺麗な個体を手に入れようと考えていた。しかし、このジャンクとして流通量の多そうなS500はなかなか私の前に流れ着いて来なかった。数箇月後ついに見つけた2台目のS500も液晶の浮きがあった。この機種の持病なのだろう。2台目を見つけた時に同じ症状だった事で落胆したが、それでも確保することにしたのだった。何故同じCAMERAを2台確保したのかというと、それほど気に入った機種なのだ。同じように2台ダブって所有している機種が、あとひとつある。それはまた別の機会に話すことになるが、それほど特別なCAMERAになってしまった。
本機は手に取ると実に小さい。トランプくらいだ。ステンレス製のボディは高級感がある。背面にある十字ボタンがロータリーマルチセレクターという名称でくるくると回るのだが、ボディに合わせるように小さいので、使うには慣れが必要となる。気になる箇所はそれくらいで、あとは普通に使える。本機を始祖とした後継機種も結構出ているので、ある程度の人気機種なのかもしれない。キムタクのCMが印象的だったが、その御蔭というわけでもないだろう。それまでのNikonのコンデジはどちらかと言うと、丸っこいボディかスイバルボディがメインでスタイルは二の次と言った戦略だったから、本機のような普通のデザインはやはり普遍的な魅力があるのだろう。

2014

2014

初撮りの結果は上出来だった。今まで使用していたメーカーのものと異なり描写が細かいのだ。つまり線が細い。そんな印象を受けた。カラーの発色は地味だったがノイズの出方は良好。もしかするとモノクロームが合うのではないだろうかと考えた。で、これがハマった。

2014

2014

古いデジカメ(そんなに古くないが)をモノクロ専用にして使うというのは一種の逃げと思われがちだが、本機に関して言えばモノクロ設定が素晴らしいから使う機種という役割が出来た。これが2台確保した理由だった。

2014

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1/2.5型原色CCD、総画素数738万画素と、小さい撮像素子でカタログ上の魅力は乏しい。それがこんなに豊かな描写をしてくれるのだから不思議である。撮影結果は撮像素子だけで決まるわけではなく、LENSやソフトも大いに関係しているのがDIGITAL CAMERAなのだと改めて気づかせてくれる。モノクロも真面目に作られているのだ。

2014

2014

これだけモノクロが気持ち良いと広角側で28mmくらいは欲しかったが(本機は35-105mm相当)、選り好みが出来ないのもこの趣味の宿命で、拾ってこられるものを拾って使うだけなのだ。。今までは、35-105mm相当という平凡なズームには全く食指が動かなかったが、その平凡なスペックの商品が実に多い。私の蒐集したCAMERAたちもほとんどが似たような焦点距離だ。そんな食わず嫌いな自分に愛想が尽きるほど、この平凡なレンズたちは使いやすいのだった。そんな気付きも今回の蒐集ではあった。他人と同じものは持ちたくないというのは勇ましいが、あくまで基本をわきまえた上で行うのが好ましい。

2014

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私はいつでもそうなのだ。浅く広く物事に向き合う。だから、深く語れるものが何もない。何かを真剣に修めてみたい気持ちもあるが、それが何なのかわからないのだ。不惑は遠に過ぎた。この趣味に癒やしを求めて始めてみたが、リアルはどこまでも追いかけてくるものなのだ。

2014

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この蒐集趣味の特徴を過去に幾つか書いたが、CAMERAの数量が軌条を逸する事もそのひとつだ。リアルはどこまでも追いかけてくるのだが、集めたCAMERAの数を見返してみると現実とも思えないのだ。すると、とたんに不安になる。こうしては居られないと思う。こんなに拾い集めてどうするのだと途方に暮れる。癒やしを求めたはずの趣味がこんな事では意味が無い。

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ふと、思い立って、「コレクター」で検索をかけてみた。すると、なんてことはない。私などはまだまだ浅く狭くなのだった。世の中は広い。私くらいのコレクションで軌条を逸した等と言ってはいけないのである。極普通のよくいるCAMERA好きのおじさんなのだ。何かに迷ったら「コレクター」で検索してみることにしようと思う。妙に落ち着くのだ。ところで、S500の特筆すべき点はAFポイントの多さだ。マニュアル設定で99点から選択出来る。私のコレクションより遥かに多いフォーカスポイントが、この浮きのある小さな液晶画面に存在しているのだ。このCAMERAは不安を生み出すと同時に、癒やしも与えてくれくれる。これはカタログスペックでは分かりづらい部分だと思う。

2014

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以前、CAMERA以外にもいろんな道具が揃ってしまったという記事を書いた。クリーニング素材も色々揃えたが、中でも金属磨きはピカール、プラやゴム磨きはアーマオールがお気に入りだ。本機は2台確保しているが、どちらもカラーはアンバーブラックだ。1台をピカールで磨いたら残念なことに塗装がはがれてしまった。それでも、更に磨きこんだら見事なシルバーボディになった。錆びやすくなったのかもしれないが、こんなこともあるさと気にしない事にする。

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ピカピカのCAMERAを持って祭りに出掛けた。祭りは誰でも気軽にスナップ出来るが、楽をしているような気がして実はあまり好きではない。かと言って怖い場所へ出掛けて行って撮影を試みるほど行動的でもない。都会の夜くらいが丁度良いと思っている。S500は小さいがしっかりと機械の重さがある。と言ってポケットに入れて邪魔になる程でもない。この匙加減も上手い。さっと出してさっと仕舞える。手ぶらで動けるのは大きなメリットだと思う。

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S500はバランスのとれた重さを実現しているが、以前にばらしたプラCAMERAはわざわざ重りとして鉄の塊がボディ内側に貼られていたものがあった。軽すぎると手ブレの心配があることも確かだが、この仕様を見た時にはがっかりした。よくあることなのだろうか。「行人」の一郎は女の心根を知るには狂わせてみなければ判らないのかと嘆いていたが、CAMERAの素性を知るにはバラすしかないのかもしれない。

2014

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それでも世の中は良く出来てたもので。実はバラさなくてもCAMERAの中身は知ることが出来る。とある海外サイトでは様々な電化製品のサービスマニュアルを公開している。古いDIGITAL CAMERAの情報もそのサイトで検索をかけると出てくるのだ。英語表記なので、何が書いてあるのか私には分からないが、ほとんどのページが図解なので見ればわかるのだ。たまに手引として分解を手伝ってもらっている。

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CAMERAは良い結果が得られると分かっていれば、安心して使うことが出来る。つまりCAMERAのせいには出来ないCAMERAは必然的に安心なのだと思う。S500はそんなCAMERAのひとつだ。まさに拾い物だったのだ。

2014

2014

 

こうしてNikonとの付き合いは上々のスタートを切った。エントリークラスのモデルでこれだけ興奮しているのだから、プロ仕様はどんな描写をするのだろうかと考えないこともない。Pシリーズは高くて手が出なかった。一眼レフやミラーレスもしかり。それでも、Nikonとの縁は終わりではなかった。私の中のNikonへの期待は生まれたばかりだ。果たしてNikonは時間をゆっくり感じさせてくれるだろうか。

つづく。

 

嵐の「GUTS !」という曲が好きだ。2014年発売のナンバーだから最近のヒット曲で、テーマは応援歌ということになる。特に気に入っているフレーズが「夢を見ることも容易くはないさ」というセンテンス。夢を見るには、その事に一生懸命にならなければならない。企業で働くリーダーたちが常に夢を描いているように・・・。苦境の最中でも、その先の未来を思い描く必要がある。そしてそれは孤独な作業でもあるはずだ。未来のあるべき姿を思い描きつつも、眼前の課題とも向き合っている。目の前の仕事をこなすだけなら皆と共感できるが、その先の夢に向かって頑張るのは孤独なのだ。私は別にリーダーというわけではないが、この曲を聴くとやけに沁みる。ありきたりだが元気が出た気になるのだ。
実は古デジカメ蒐集も似たような気分にさせてくれる。ジャンクカメラは動くことが奇跡なんじゃないかと思うほど手荒い扱いを受ける。そんなCAMERAが頑張って動いているのを見ると応援したくなるのだが、応援は結果として自分へ返ってくる。そこで元気が出るような気がするのだ。特にいつまでも拾い手のなかったCAMERAに対してその傾向が強い。LC20もそんなCAMERAだった。リサイクルショップの青箱に2箇月は居たと思う。厚みのあるプラボディは拾いあげるには不利な外観だ。加えて古いカメラにありがちな画素数の表記がどこにもないが、調べてみると200万画素で敬遠してしまった。LCシリーズと言えば、LC1を頂点とした憬れのシリーズだ。なので拾うとすればそこを評価するしかないのかもしれない。奇しくもLC1の再来として10年ぶりに発売されたLX100が話題となり、私の中では本機への関心が出来た気がした。勿論、LC1とLC20は名前が似ているだけの他人なのだが、そんな心の動きがあり確保したのだと思う。発売は2002年なので、PanasonicがLUMIXブランドを立ち上げた翌年に登場したことになる。

2014

2014

初めて見た時は、やはりLeicaの文字が目立っていた。よく見れば、レンズの真上に配置された光学ファインダーもパララックス的に好印象だった。そして珍しくこのコンパクトサイズで両吊りタイプなのだ。厚みは年代なりだが、グリップには有利だ。プラスチックボディは安っぽいが軽い(250g)。背面に配された電源スイッチはLUMIX伝統のスライド式でこれがホールドした時に親指の位置に設置されており便利だ。バッテリは単三2本。起動はワンテンポ待たされる。露出補正がツーアクションで残念。1/2.7型CCD 総画素数211万画素の原色フィルター だが、全体的な印象としては控えめな発色だと思う。これはLUMIXの特徴かもしれない。。それでも、撮影結果を見ると、もっと早く確保しておけば良かったと感じる。今回も古デジが頑張っているのを見ることが出来て満足している。

2014

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元気を出すと言う事は、些細な幸せを見つけるのに似ている。

2014

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面白いもので、人はそれぞれ感性が異なるから、ポジティブソングは嫌いという方もいる。私もポジティブソングを聴いたら元気が出るわけではないし、場合よってはうるさく感じる事もある。

2014

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古デジカメも使えないという方が多数派だろう。でも、多くの愛好家も存在している。些細な幸せならその辺に落ちているデジカメを拾うだけでいい。

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私は、パナLeicaやSONYツァイスに幸せを感じることが出来る。LeicaのLENSで撮影していると思うと気分が良い。お手軽なのだ。

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今では競馬という趣味が私に夢を見せてれる。馬と人が同じ仕事をしているところに夢を感じるのだ。それ以前はプロレスが夢を見せてくれる役割だった。

2014

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プロレスでは「まだ見ぬ強豪」という言葉がよく使われていた。馬場さんや鶴田が元気だった時代だ。

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競馬にも古デジカメにも「まだ見ぬ」何かを求めている気がする。自分の幸せのために。元気のために。

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撮影散歩中に霧が出て来た。この突然のイベントは私にとって小さな幸運だった。勿論迷惑を感じる方もいるだろう。

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何を写すかによって霧がよくも悪くも作用する。気ままなスナップなので問題はない。ただ、CAMERAは濡れるけど・・。

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CAMERAは濡れるがプラボディなので少しはマシかと思うが、気を使う。気をつかうがテンションは上がる。視界が100mもないのだ。

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時間帯は夕闇が迫る頃だ。

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NRの時間が長くなる。出てきた画は見事な処理がなされていた。

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カタログではスローシャッターは1秒が最長のようだが、1/2秒にプログラムされることが多かった。手持ちではギリギリな感じだった。。

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あたりは真っ白だったが、写真では意外とクリアになる。その雰囲気を写し残すのは難しい。

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冒頭に元気の出た曲の話をしたが、私は意外と曲を聴いて元気が出ると言う事は少ない。

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いろんな偶然が重なって、その時たまたま聴こえた曲が、その時の気分と響きあって元気が出るのかもしれない。最近、「GUTS !」を聴く機会があった。やはり元気が出る曲だなと感じたと同時に、その時の苦境も一緒に思い出した。元気の出る曲は切なくもあるらしい。

つづく。。

レチナという響きに何とも言えない愛しさを感じるのだ。いまでこそ、Retinaディスプレイなどと称してiPhoneで使わている言葉だが、カメラ好きはKodakのブランドを思い起こすはずだ。私は写真を趣味として始めた頃に家電量販店の中古コーナーでRETINA IIcを購入した。買うまで3箇月掛けた。初めてのClassic CAMERAだったために踏ん切りがつかなかったのだ。その間に2万円台だった値札は、2万円を切った。委託品だったのかもしれない。これ以上安くなると売れてしまうような気がして慌てて確保した。今思うと高かったかもしれない。使い方は全く知らなかった。コンパクトに折りたたまれた蛇腹を伸ばす方法すら分からなかった。ダメ元で店員に使い方を訊くと意外にも事細かく教えてくれた。その人は自分でもレチナを愛用しているということを知って合点がいった。もう、10年近く前の事だ。

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2007

その後、DIGITALに完全移行してIIcは使わなくなってしまった。結局Classicと呼ばれるCAMERAはこの1台の他は手にすることはなかった。レチナは使わなくなったが、変わらず憬れのブランドだ。古デジカメ蒐集の中でKodakのDIGITAL CAMERAを意識していたのは間違いない。私の徘徊コースにKodakの出物は少なかったが、最終的に2台確保した。今回はその内の1台の話。

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2014

確保したのはCAMERA量販店のジャンクコーナーだった。そこはジャンクと言えども青箱に入れるような事はなく、棚に置かれていて自由に手にする事が出来る良店だ。レンズ周りに「KODAK RETINAR Aspheric」。私が探していたものだった。Kodakのデジカメを見つけたのも、これが初めてだった。

2014

2014

グリップには、エンボスされたコダックのエンブレムにヘアライン加工を模した仕上げ。。

2014

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全体はズングリムックリな84.7 × 64.7 × 34.9 mmのこじんまりしたボディ。安っぽい。。Kodak EasyShare C360 Zoom(2005年8月発売)、これがこいつの名前。有効500万画素 1/2.5型CCD。筐体の(それも細部の)魅力がなければスルーしただろうと思う。それほど平凡な印象だ。完全に自己満足の為に手に入れたのだ。

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背面もありきたりなインターフェイス。レンズは換算34~102mmのF2.7~5.2(広角)、F4.6~8.0(望遠)と暗めだが、見た目からは相応な感じがする。買ったことで満足できた機種と考えていた。つまりは愛蔵品だ。ところが撮影結果は意外なものだった。

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よく写るのだ。勿論、小さな撮像素子なので、等倍で見れば破綻している。また、歪曲収差も目立つ。それでも、なお気分が良くなる色を出してくれるのだった。

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大した期待もしていなかった時に良い結果が出ると、喜びも大きくなる。

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ISO80。1/1500、f5.6。。カタログでは1/1400が最高になっていたが、これでデフォルトの発色。空が深い。

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深さを感じる青。子供の頃は千葉で過ごしたが、空が綺麗だったことを覚えている。そんな事を思い出させる。

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青いクレヨンを最後に使ったのはいつの頃だろう。私は絵を描かないし、子供も居ないので、おそらくは小学生の頃ではないかと思う。空に青色を何の違和感もなく使えた時が確かにあった。

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古デジカメ蒐集で新たなクレヨンを手にしたような気持ちになった。空を写すならこのCAMERAなのかもしれない。

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私は一時期、このCAMERAと空を見続けた。網膜に焼きついたような記憶の中の空が描けているような感覚だった。

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私が住んでいる場所では広い空は望めない。建物に遮られた空間に生きている。高い建物にでも登らない限りは遠くを見ることは出来ない。

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街を歩いていても廊下にいるような感覚をよく覚える。大きな建物にいるような感覚だ。

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そんな時はやはり空を見上げる。

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子供の頃は千葉で過ごしたと書いたが、住んでいた家の周りは畑と田んぼしかなかった。広い空と広い空間があった。

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家は高台にあったので、坂道を下って学校に通っていた。坂道を下り切るとどこまでも田んぼだ。遠くに川が見えた。

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しかし不思議なことに川の向こうの景色の記憶がない。どこまでも続いていた田んぼの果てに何があったのだろうか。無理に想像すると山が描かれるが果たして山などがあったあろうか。

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40年以上前の光景が完成されないまま夢想は終わる。果ての風景で覚えているのは空の色だけだ。

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ISO160。1/8秒、f4.6。淡々と数字をはじき出し記録してくれる。「網膜」という名を持ったこのCAMERAは意外な写りと思いがけない記憶をみせてくれた。

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形はお世辞にも恰好いいとは言えないが、抜群のホールド感はCAMERAを意識させない域まで達している。これも見た目からは想像出来ない良さだ。

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ほんの0.8Kで手に入れたこのCAMERAは当たりだったと言える。IIcの説明をしてくれた店員さんに見せたら苦笑するだろう。

つづく。。

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今回はLUMIX DMC-FX33(2007年8月発売)というCAMERAの話。カラーはショコラブラウン。ボディは一見アルミ合金に見えるかもしれないが、薄くシリコーンをまとったかの様な加工が施してある。これが秀逸で平面なボディにも関わらずホールド感がすこぶる良い。2007年の商品となると、状態にもよるが3~4kくらいの値が付く。Amazonでは10kくらいか。ジャンク遊びの醍醐味を求めるなら、このいかにも普通のデジカメと言った外観のこの機種にそれだけの資源を振り分けることは躊躇われる。こいつが普通の中古品であったなら、袖が触れ合うくらいの縁で終わったろう。それが確保まで進んだ原因はジャンクだからだ。こいつの個性はレンズカバーが開かないというものだった。値札にはっきりそう書いてあった。値段は1Kだ。故障だと分かっていて、1kも取る理由が分からないが、その故障さえ直せば使えるはずだという人が買っていくから、こんな市場が成り立っているのだろう。帰宅後、バッテリーを入れてみると、レンズは繰り出すがレンズカバーは閉まったままだった。手で開いてみると、パカッと開いて、後は何事もなかったかのように普通に使えた。よく見るとLENS周りのちょうど「LEICA」と書いてあるあたりがほんの少し凹んでいた。落としたかぶつけたか。不具合のあるのものが高く売れるはずもなく、前オーナーはタダ同然で引き取ってもらったに違いない。それを1Kで売るのだからジャンクは意外と割の良い商売かもしれない。レンズカバーが開くと言う事は、レンズカバーに付いているバネは定位置に付いているはずだ。完全にバネが外れていたら全バラで赤外線カメラに改造しようという考えだったが、普通に使えるので、凹みをなるべく元に戻して使っていた。

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捨てる神あれば拾う神あり。世の中は神ばかりいるのだ。CAMERAは神には逆らえないから、棄てられたり拾われたりして流れていく運命を受け入れている。

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古デジカメ蒐集趣味の方は捨てる神と拾う神とを使い分けておられる方が多いと思う。私は拾う神の側だ。ただ完全に拾ってばかりではない。破壊神でもある。

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拾われて安心してはいけない。部品取り用に等と言って壊すことが前提の拾う神もいる。私もまれにはそういう考えで拾う事もある。それよりも改造に興味があるから失敗すれば破壊神となる。

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このCAMERAのiAは便利だった。CAMERAまかせがこんなに使いやすいのは初めてかもしれない。とはいえ、iAを選択しないと普通のAUTOがあるだけだから、良くて当然だろう。何にしろこういうところはカメラメーカーより家電メーカーが先んじている印象がある。DIGITAL CAMERAの使いやすさを追求する姿勢は素晴らしいと思う。

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私は最近、とある改造に挑戦している。それは全玉抜きと呼ばれる手法だ。全てのLENSを取り去り、更にそれでも起動する様に改造する。これはAF機構のあるCAMERAでは非常に難しい。それはLENSを固定している筐体がLENSと接着されている為、LENSを抜き出す際に電子回路を傷つけて起動が出来なくなる可能性が高いのだ。

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私は過去に2回これに挑戦したが、あえなく失敗した。その内の1台が今回のFX33だ。なので、もうこのCAMERAは持っていない。

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撮影結果は普通によく写る。普段使いに向いており何も考えずに撮れる。悪く言えば特徴がない。でも、そう考えるのはCAMERA好きの戯言で、普通であるということは大変なことだと思う。もし、もう一度出会うことがあったら、拾う神として普通に使おうと思っている。

つづく。。