記念モデルや限定ヴァージョンという枠組みは商魂を感じるが魅力的なものだ。そして大抵は高価だから手にすることはない。振り返ってみても私は一度も買った事はないのだった。FinePix F100fdはリサイクルショップのジャンクのガラスケースで見つけたのだが、不思議な事に数箇月間売れずにいた。見た目も綺麗で元箱も付いて1.6Kだったが、平凡な見た目が拾い上げられなかった理由かもしれない。私は出会ってから確保までの期間に縦型FinePixの魅力にのめり込んでいったので、新しいFinePixにも興味を持ち始めていたのだ。確保した後に知ったのだが、このCAMERAは地味に「FinePix誕生10周年記念モデル」だったのだ。フィルムメーカーらしく従来比4倍のワイドダイナミックレンジを実現した機種らしい。10周年のロゴくらいはあっても良かったのではないかと思うが、初めての記念モデルと言う事になった。

2014

2014

筐体は実に立派だ。背面の十字ボタンがホイール式でそこは華奢な感じを受けるがその他はしっかりした作りである。液晶も大きい2.7インチ。大きめの1/1.6型CCDハニカムは好印象だが、そこに1200万画素詰めむ。LENSは35mm判換28~140mm相当のf3.3~5.1フジノン。広角側は歪曲収差が目立つが、処理エンジンに補正され、ある程度は見られるようになる。バッテリは専用で、メディアはSDとxDのダブル。FモードメニューにF-クロームが用意されている。今回の写真はすべてF-クロームで撮影した。

2014

2014

カメラ雑誌を買わなくなって久しい。唯一買っていたCameraMagazineも体裁が変わって買わなくなった。CameraMagazineを購入していた理由は写真が美しいからだ。それは紙の質感が良いからだと思う。多くのカメラ雑誌は、さほど紙にこだわっていないように感じてしまうのだ。いや、実際は試行錯誤の結果だろうとは思うが、週刊誌のグラビアと差はない。よく写真はモノとしての質感を大切にしているというような事を説明する写真家が多い様に思うが、そうした観点から見るとカメラ雑誌の誌面は物足りないだろう。

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私の写真はwebが最終形なので質感にこだわったことはないが、そんな私が他人の写真の紙質を気にしているというのも可笑しな話ではある。ただ、少しでも良い物が欲しいのだろうと思う。良い物を作るとコストに跳ね返る。漱石先生は何でも良い物を使おうとする岩波を嗜めて表紙を良くしたら中身を落とすなどしないと儲けが出ないと忠告したらしいが、良いものを売るというのは何時の時代でも難しいのだろう。

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2014

写真を見るには個展も良いが、写真集の方が好きだ。思い入れのある編集者が作り上げた写真集は見ていても気分が良い。勿論、欲しい物を全て購入するわけにはいかないので、図書館を利用している。その中で本当に気に入ったものを余裕がある時に買うというのが私のスタイルとなっている。なので数冊しか持っていないが、その内の3冊を軽く取り上げてみよう。

2014

2014

一番のお気に入りはYann Arthus-Bertrandの「HORSES」という馬の写真集だ。欧州では「Chevaux」というタイトルで発表されている。美しさという点で図抜けており強さすら感じる。時間と手間を十二分にかけた力作でもある。やりたいことを全てやりきったという感じが伝わってくる。Yann Arthus-Bertrandの写真集には猫を写したものもあるようなのだが、まだ実物を見たことがないのは残念だ。

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2014 東京競馬場

2冊めは中平卓馬さんの「サーキュレーション – 日付、場所、行為」。これは図書館で何度も見返した。図書館に行くと毎回手に取った。最後には自分のものにしたいと思い購入したのだった。とにかく恰好いいのだ。この写真集はそれだけで十分だと思う。図書館では写真しか見ていなかったが、購入後は解説も読んだ。プリントが金村修さんだと知って納得した。こんな豪華な組み合わせでは恰好よくなるしかない。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

3冊目は小島一郎さんの「小島一郎写真集成」。1964年に若くして急逝した写真家を偲ぶ回顧展が2009年に催され、恐らくはその時に刊行されたものだと思う。とにかく丁寧に作られているのだ。2014年に、生前唯一発表された写真集「津軽」が復刻され気になっている。美しく寂しく、力のやりどころを探しているように感じる写真たちが収められている。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

この3冊に共通しているのは所有欲を満たしてくれると言う事だ。つまりは満足出来る出来栄えなのだ。それは写真の事ではなく(写真は言うまでもなく良いのだから)、モノとして満足出来るのだ。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

最近のDIGITAL CAMERAはハイエンドが流行りでモノとしての満足度も高い。中でも目を引くのは富士フィルムだと思う。本当に美しい写真機を作っている。使い勝手や技術面はよくわからないが、外観は素晴らしいと思う。これはハイエンドという潮流に乗ったというよりは生来のモノ作りに対する姿勢なのかも知れない。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

勿論様々なモデルがあるが、縦型FinePixや本機を見るにつけても丁寧に作っていると感じる。私の古デジカメ蒐集は闇雲に拾い上げる時期があって、その後慎重に選ぶ時期があり、最後は良い物を探す時期へと変化していった。本機はまだまだ闇雲時代のものではあるが、後期に出会ったとしても確保したろうと思うのだ。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

気に入ったCAMERAは競馬場へ連れて行く事が多い。本機は見た目も現代的で場の雰囲気を乱すことはない。周りに違和感を与えないデザインだと思うのだ。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

モノとしてある程度満足できる機種を持ち歩くのは快感だ。撮影結果がついてきてくれれば尚良い。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

本機のF-クロームは独特なザラザラ感がある。これを見て馬を写してみたいと思ったのだ。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

何処か懐かしい雰囲気を感じる描写をしてくれたが、動きモノはやや厳しい。晴天下でもう一度試してみたい。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

前述のダイナミックレンジ4倍というところが影響していると思うが、暗めに写るようだ。それがF-クロームと相まって濃い発色になるのだろうか。落ち着いた感じも受ける。

2014 東京競馬場

ワンボーイ 2014 東京競馬場

フレンチデピュティ × モスフロックス(サンデーサイレンス)の牡馬。。

2014 東京競馬場

キンノシャチホコ 2014 東京競馬場

トーセンダンス?× トーハルミツル(ジェネラス)の牡馬。尾花栗毛。。

2014 東京競馬場

2014 東京競馬場

トキノミノル像。

テレ端で140mmあるので競馬場でも十分使えた。良い物を集めているという実感があるとコレクションは楽しい。他人のために蒐集しているわけではないので、自分が満足できればそれで良い。この感覚は写真に似ている。写真は自分の感覚をそのまま伝えられる事は極めて少ない。どう受け取るかは受け手側の自由だからだ。何かの賞を受けた作品の解説を読んでも、ピンと来ないことが多い。そういう写真だったの?と思うことがよくある。写真の真の意味は写した本人にしかわからないものだし、受け手の数だけ写真は存在するのだ。このCAMERAが銘機だとは言わない。そう感じている方もおられるだろう。私はただ、FinePixが好きな私が「FinePix誕生10周年記念モデル」を拾ったという、その偶然だけで十分なのだ。

つづく。。

 

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RICOHのDIGITAL CAMERAは、GRD、GRD IV、CX2、CX4、GRと使ってきた。私にとってはCanonと共に最も投資したメーカーだ。競馬はCanon、スナップはRICOHというのがこの趣味を始めるまでの基本スタイルだった。それほど好きなメーカーであるが、GRD以前の機種についてはあまり詳しくない。CaplioRシリーズとGXシリーズがあったなぁという程度である。なので、RXを見つけた時も、最初はフィルムカメラだと思っていた。ガラスケースの中に居たのだ。しばらくはスルーしていたのだが、ある時値札にポップが付けられていて300万画素と書いてあった。こいつはデジカメだったのかと初めて気づいたのだ。その場でweb検索をかけると2004年発売だとわかった。早速店員に頼んで見せてもらった。手にとって背面を確認すると確かに液晶がついていた。

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スマートフォンで調べ物をしていると、ダン・シモンズのSF小説『ハイペリオン』に出てくるコムログを思い出す。その世界では誰もがコムログという端末を持ち、人類が共有するデータバンクにアクセス出来るのだ。そのデータバンクはデータスフィアと呼ばれ、あらゆる情報が収められている。現代のWebがこのデータスフィアほどの情報量だとは思えないが、未知の何かがこの世の全てを記録しようとしているのではないかと感じることがある。こうやってWeblogを書いていても、写真をアップロードしても、その「何か」の思いに参加している気分になる。学生の頃読んでいた「トワイライトゾーン」という雑誌で知ったアカシックレコードという概念に思いはつながる。アカシックレコードの語源については詳しくないが、宗教の概念だと思う。それは、全人類の記録だ。そして意識の集合体でもある。アカシックレコードには出来事も思いも全てが記録されている。今も過去も未来もだ。そして、そこにアクセス出来れば、その一端を垣間見る事が出来るらしい。何か夢があるような話なので、ずっと忘れずにいる。私が使うとしたら、今回の様にCAMERAの素性を調べるくらいだろうと思う。それならばwebで十分なのだが、以前のオーナーやどういった経緯でジャンクの波打ち際に流れ着いたのか分かると面白いかもしれないなどと夢想する。
液晶画面を確認した背面のインターフェースは慣れ親しんだRICOHのそれだ。ズームレンズ式の光学ファインダーがついているが、これを使おうという気になる人は居ないんじゃないかというくらい小さい。CAMERAを顔に近づけても一発でファインダーを覗けないくらいだ。その代わりに液晶に写る風景が実に良い描写である。この色で残したいと思わされる色だ。これは写欲が上がる。ただ、なかなか思った結果が保存されることは無いようで、少し寂しくなるが・・・。

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1/2.7型CCDで有効画素数324万画素。レンズは換算28~100mm相当でF3.1~F5.8と暗め。特筆すべきは本機の翌年に発売となるGRDで感心した高速の起動、合焦、保存がすでにこの時点で完成している事だ。電源オンからシャッターを押すまで1秒で行けるのではと思えるほどで、これは現在でも十分上位な機能と言える。しかも沈胴式ズームレンズでだ。。とは言うもののこれは撮影モードがAUTOの場合で、譬えばシーンモードの高感度などを選択した場合は、液晶にタイムラグが生まれ、ややかったるい動きになってしまう。AUTOで撮影した方が自然なペースを保てる。バッテリーは専用と単三2本のどちらでもOK。拾った時には付属品無しだったので、エネループを使っている。メディアはSD。ホールドはストラップが無いと不安だ。ボディにグリップ用の出っ張りはあるが、ツルツルしている。さて、肝心の写りだが、色味は好みの暗い描写だが、周辺光量が落ちる。

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見ての通り右上がケラレたようになっている。これは私の個体だけの問題ではなく、発売当初から言われていた不具合のようだ。

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こうやって街をスナップしながら流していると、やはり人類の記録に参加している気分になる。

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特に誰も気づいていないものや、誰も写しそうにないもの、その瞬間しか見られないものなどを写した時には、その思いが強くなる。これはいつも脳裏を離れることのない私の癖だ。

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この時の雲はこの時ここ居た私にしか写せないものかもしれない。そしてそれに意味など無い。意味など無いが、写したいと考えた自分の意志は果たして自分の意志だったのだろうか。そこに大いなる記録者の意思はなかっただろうか。

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漱石先生は「道楽と職業」という講演の中で『ことに芸術家で己の無い芸術家は脱殻同然で、ほとんど役に立たない』と仰った。芸術家には自己本位が必要だと言うわけで、、至極ごもっともなお話だ。そうなると、神が降りたとか奇跡的に上手くいったと言う事では駄目なのだろう。そんな時にはきっと謎の記録者が手を下した可能性があるな。

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私に関わっている見えざる記録者は写真下手だろうと思う。私の散歩写真は芸術と言うよりは写真セラピーの結果の様なものなので、己の無い出来であっても仕方ないが、他人を使って記録させるのなら、もう少し芸術的な記録をさせて欲しいと思う。気が利かないことだ。

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それでも、様々な風景を見せてくれるのはありがたい。せめて、それを自分なりに切り取って自分の情景にしたい。

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本機は自在に操ることが出来るので、実に使いやすい。サクサク撮れる。GRDを思い出す。

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ずいぶん長い間、このCAMERAだけを持ち歩いていたように思う。なかなか次のCAMERAへ移行出来なかった。

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それほど使っていて気持の良いCAMERAなのだと思う。

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やはりRICOHとの相性は良いようだ。今回の蒐集趣味でRICOHを集めるつもりはなかったのだが、こういう出会いがあるとそれも変更したくなる。これも何かの導きなのだろうか。

つづく。。。

 

29 RICOH RX

EPSONのコンデジを使うというのは意外とワクワクするものだ。EPSONのデジカメといえばRangefinder Digital Camera R-D1シリーズを思い浮かべてしまうが、デジカメ黎明期には弾数こそ少ないもののコンデジ市場に参戦していたらしい。全くノーマークのメーカーだったし、どちらかと言えばストレージビューワーの方が認知されていたように思う。古デジカメ蒐集を始めて視野が広くなるとEPSONの文字が見えてきたのだ。EPSONに注目した理由だが、キッカケはとあるサイトの写真だった。ややヴィヴィッドな発色と暗部をあっさり切り捨てたハイコントラストな描写が私の好みだったのだ。特に手は加えてない旨が書いてあった。機材はCP-920Zとなっており、それが2001年に発売されたEPSONのコンデジだった。

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欲しいなと思ったものの、すぐに見つかるような機種ではなかった。ネット通販では皆無だった。私の古デジカメ徘徊エリアに出てくる事もなかった。最後に辿り着いたのはオークションだった。オークションは手続きが面倒な上に、即決でない限り競り合わなければならない(それがオークションなのだが)というのがストレスなのだった。私は言い値でいいから売ってくれた方がしっくりくる。競りに楽しみを見い出せないのだと思う。あとは赤の他人に個人情報を伝えなければならないことも気がかりである。そんな事で出来る限りオークションは使わなかったのだが、最初で最後のつもりで参加することにした(結果的には3件の取引をした)。こういう古い機種は企業が絡んだ流通に乗せようとすると安く叩かれる。私が手にした多くの機種がタダ同然で引き取られたものだろう。また大手中古カメラ屋は、なるべく回転の良い最新機種を中心に買取をしており、年代を区切ってそれ以前は切り捨てている。そうなると素人が古いCameraを売ろうと考えた時に少しでも値段がつく可能性はオークションとなり、珍品は個人対個人の取引に集中する事になる。今やフリマアプリがあるくらいだから、私の躊躇など些細な事なのかもしれない。

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本機のスタート価格は1Kだった。そして誰も入札すること無くそのまま落札出来た。元払いだったから送料で儲けるつもりかも知れないが、特に不満はない。取引相手は個人で転売業をしている感じだった。入金すると品物はすぐに届いた。しかし、この後、オークションで取引したものの中で唯一失敗したCAMERAとなるのだった。

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本機についてはあちこちのサイトで書かれているが、レンズユニットにCanonのPowerShot G1と同じものが使われているらしい。こういった事はよくある話で、CanonのIXYの液晶はSONY製を使っているものもある。全てのメーカーがLENSを作れるわけではないし、撮像素子を作れるわけでもないのだ。
グリップの色は濃いグレーだ。入手前は写真でしか見たことがなかったが、写りによっては黒にもグレーにも見えたので一応書いておく。本体もグレーだが、全体としてなんとも陰鬱なイメージがする。ちょうど我が家にあるEPSONのプリンターPM-A890と同じ色合いだ。プリンタとしては普通の配色でもDIGITAL CAMERAになるとイメージが変化するらしい。コンディションはやつれ気味だった。全体的に古い家電と言った印象。特に傷があるわけではないが、若干カビ臭く、経年劣化が進んでいる感じだった。それでも完動品だったので安心した。1/1.8インチCCDは当時としては大型。有効324万画素で、ハイパーモードという画素補完で480万画素相当を描き出すポテンシャルを持っている。起動時間は5~7秒くらいで、のんびりしたものだが、これは当時としても遅かっただろう。燃料は単三電池4本だが燃費は悪い。液晶周りのボタンはメニューと対応していて階層がないので使いやすい。露出補正も縦配列の真ん中の2つで行える。緑のボタンはプリンターメーカーらしくプリンターと関連したものだと思うが、特に必要ないので調べていない。メディアはCFなので、Canonユーザーにはありがたい。電池を抜かなければOFFにしても直前の設定を覚えている。AFは特に遅いとは感じない。書き込みもごく普通だ。。以下はハイパーモードで撮影している。

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ネットで見た雰囲気と一緒だったので安堵したカット。重厚な発色に暗部の切り捨て。。渋い色合いが琴線に触れる。写真がセラピーや癒やしに効果がある理由が少しだけ分かるような気がする。この写真自体が癒やしの効果を発揮しているなどと大それた事を言うつもりはなく、この写真を写した行為が私の中でエネルギーとなっているのだ。古デジカメ活用法のひとつだと思う。つまり自分の気に入った風景を切り取ることが癒やしにつながっているのだ。

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そして、その写真が自分の好みに仕上がっていれば、次の癒やしが生まれる。写真の力は決して小さくないと思う。

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このCAMERAは幸せカメラでもある。それは背面液晶で見たままの色を残してくれるからだ。よく聞かれる「液晶で見た時は良かったのだが、PCで確認したらがっかりした」と言う事は少ない。故にストレスも少ない。

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それほど気に入ったCAMERAであったが、実は手放してしまった。

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それは、このCAMERAの個性が原因だった。手にした当初は若干だったカビの臭いがいつまで経っても落ちてくれなかったのだ。様々な方法で脱臭を試みたが効果はなかった。

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私はジャンクを拾い上げる時に、何よりまず臭いをかぐと以前話したことがあると思う。それは、カビに侵されていないか知る為だ。背面液晶があるとは言えファインダーも使う。使う際にはCAMERAを顔につける。臭いが気になっては集中出来ない。

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このCAMERAはオークションで入手ということで、臭いをチェック出来なかった。いい画を出してくれるというメリットをデメリットが上まってしまった。非常に残念だったし、オークションは難しいなと思った。

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なので、今でもこの機種は探している。EPSONのデジカメが見つかれば、他機種でも確保してみるつもりだ。最近、偶然1台見かけたのだが、電池室に液漏れの後が青く残っていたのでスルーした。

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もう、蒐集は終了したはずなのだが、まだ、終わっていないのかもしれない。最近はそれでも良いような気がしてきた。私が蒐集趣味に期限を設けた理由は蒐集に没頭するあまりに写真撮影をしなくなるのではないかという懸念があったからだ。

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しかし、実際はそうならずに、写真を写すことが楽しいのだ。落ちデジ拾いに出掛けると言う事は、外出すると言う事で、その際にCAMERAを携えておれば、スナップに出掛けたのと同じ事になる。休日の過ごし方として実に無駄がない。ジャンクの出物が無くとも写真は残る。

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ただし、これも以前話した事なのだが、総量は限界に達している。なので、何かを入手したら何かを手放す事が条件となる。今回のケースでもそうなのだが、CAMERAを処分するというのは決心が必要だ。なので、所有しているカメラたちよりも魅力がなければ拾ってくることは出来ない。使ったことがないからという理由で持ち帰ってくるのは避けている。

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総量は限界。。買っては別の何かを手放す。これは典型的な蒐集趣味の在り方ではないだろうか。手放すという選択を放棄すれば立派な蒐集家になる。私は蒐集家にはなれないだろう。心底のめり込むという事が出来ない性格なのだ。ある程度事が進むと奇妙に冷めてしまう。飽きやすいというわけではないのだが、心のブレーキがあるのだ。小心者なのだろう。

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世の中、ありとあらゆるものがコレクションの対象となっている。そして、他人の手によるコレクションは見ていて面白い。美術館や博物館は言うに及ばす、テレビ番組の鑑定団やまにあまにゅあるなどコレクション自体と共にコレクターの日常も興味の対象となっている。特に他人には価値の見い出せないコレクションは楽しい。

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私はいくつかのBlogをRSSで購読しているが、マニアックなサイトも少なくない。有名ドコロでは電池コレクターさんや電柱コレクターさん。信号機コレクションさんも楽しい。ジャンク・コレクターさんは多数おられる。一見無価値なものでも体系化され管理されると立派なコレクションとなる。

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マッチ箱ひとつとっても、ただ袋に詰めておくのか、ラベルをスクラップするのかでステージは違ってくる。ただ、マッチ箱をそのまま保存することに意義を見出している場合も当然あるので、一概にはいえないが。

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デジカメコレクションと検索すると、DIGITAL CAMERAを集めているサイトも引っかかるが、興味深いのは、デジカメで写した何かを集めているサイトも多数見られることだ。先に上げた、電柱や信号機などもここに分類される。

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私の世代は子供の頃に切手集めが流行ったが、私も集めていた口だ。手紙についていた切手を剥がして、わざわざ切手を仕舞っておくファイルも揃えた。当時はそこそこ価値があったモノも、今ではほとんど価値がないのは残念である。もっとも、未使用ものは今でも使えるから便利ではあるけれど。価値だけで考えれば多くの人が携わっているもののほうが良いだろうけれども、ブームは波があるので、普遍ではない。価値は考えずに自分の本当に好きなモノ、集めずにはいられないものを蒐集するのが本道だろう。

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DIGITAL CAMERAの歴史は20年ほどだが、ジャンクデジカメ蒐集の歴史も同じくらい古い。これはDIGITALCAMERAの性格が関連している。つまり簡単にスペックジャンクとなってしまう事で価値が下落するということだ。ある意味発売と同時に価値が下がり始める。ゆえにジャンクデジカメ集めはコレクションとしては純粋な部類だろう。もっとも、そんなことを考えてから始めた趣味でもない。本当のことを言えば理由などないのだ。改めて本機の写りが好きだなと思う。まためぐり逢えるだろうか。

つづく。。